ゲームジャーナリズムにありがちな陳腐な表現トップ10
編集校正:石橋啓一郎
すべてのライターは、陳腐な表現を敬遠すべきだということを知っている。しかし、ライターはみな仕事の虫で、今日の一針は明日の十針とばかり、最高の書き手でもときにはありがちな慣用表現に頼ってしまう。これはゲームジャーナリズムでも同じで、出来のよくないありがちな表現は素晴らしい文章を壊してしまう。論より証拠、四の五の言わずに、私が個人的に作った、特にゲームジャーナリズムでよく使われる陳腐な表現のリストを挙げてみよう。
10位:トップ10リスト
人間は一般的に、物事を列挙して世界を理解しようとすることを好む。ゲームジャーナリストが「史上最高のゲームランキング」や「今年のゲームトップ10」などというリストをよく使うというのも驚くことではない。時には「マリオのスピンオフ作品トップ10」や「評価が不当なゲーム機トップ10」のような、1回限りしか使えないようなリストも使われる。それにしても、「ゲームのトイレ トップ12」に「ゲームに出てくる尻トップ10」に「食べてみたいポケモントップ10」?この分では、リストにできるものがなくなったら、好きなリストのリストでも作らなくてはならないだろう。このリストもリストだが、私がこれを陳腐な表現だと分かっているので大丈夫だ。私は偽善に強いのだ。また、私は謙虚な人間でもある。
9位:冒頭で歴史をたどる
こんな風に始まるレビュー記事が無数にある。「○○シリーズは、激しいアクションと気の利いた文章、そして銃弾への言及が多いことでよく知られている。このシリーズの17作目に当たるゲーム××は、この勝利の方程式に従いながら、ファンを満足させるに足る新要素を詰め込んだ作品になっている」。確かに、こういう書き出しはシリーズを知らない読者に情報を与えるにはいい方法だが、あまりにも使い古されていて、この種の冒頭文は陳腐でありきたりのものになってしまった。Tom Clancyの新作ゲームのレビューをどんな風に書き始めるかを考えるのが大変だということはよく分かるが、物書きなら何かしら独自のものを考え出す努力をすべきだ。
8位:「?」で終わる見出し文
こんなゲームをやってみてはどうだろう。見出し文に疑問符が付いてたら、答えは「ノー」だと仮定してみるのだ。だが確かに、これは時間を節約してくれる道具にはなっても、ゲームとは言えないかも知れない。実際問題として、疑問符が付くような見出し文は、最後には否定される場合が圧倒的に多い。見出し文を書いている時点で、ライターが答えはノーであると知っている場合さえある。では、なぜ見出しに疑問文が使われること多いのだろうか。なぜなら、われわれジャーナリストへの報酬は単語数に応じて支払われることが多く、推論を書いても、既成事実について書く場合と同じだけの報酬が得られるからだ。長い目で見れば、可能性の低い本物のうわさについて書いてみても、それらの疑問形の見出し文によって引き起こされる誤報や、裏切られる期待に勝るだけの価値を生むことはないのだが。
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